協会の歩み

<はじめに>

日本は1926(大正15)年7月朝鮮総督府の元高官を中心にした、統治下の重要政策、民族、階級問題、様々な社会問題に介入して円満解決に尽力した「中央朝鮮協会」を設立し、太平洋戦争敗戦後、朝鮮半島からの引揚者に尽力した元朝鮮総督府殖産局長・穂積真六郎氏設立の世話会、その意を引継ぎ設立された同和協会等の活動を経て、昭和27(1952)年、戦後の日本と韓国友好親善促進の目的を加えた「社団法人中央日韓協会」が生まれ現在の「公益財団法人中央日韓協会」への歩みが始まりました。

同時に歴史資料保存収集研究に関して、穂積真六郎理事長の友邦協会に引継がれ、現在の友邦文庫となり学習院大学東洋文化研究所が各種資料の管理を引継いで今に至っております。

大正15年  中央朝鮮協会創立

昭和20年  太平洋戦争敗戦により中央朝鮮協会は朝鮮半島からの引揚事業に従事その任を成し遂げた。  

昭和21年  中央朝鮮協会内に朝鮮引揚同胞世話会を設立。

昭和23年  同和協会は厚生大臣認可により「社団法人同和協会」として発足。

昭和25年  元朝鮮総督府殖産局長(穂積真六郎氏)が日本の朝鮮統治史実保存を提唱。  

昭和27年  日韓親善の促進寄与を目的に加えて、協会名を「社団法人中央日韓協会に」変更、外務省・厚生省の共管となる。

       協会副会長穂積真六郎氏が理事長となり朝鮮統治に関する資料収集・研究を目的とし「友邦協会」を設立する。

昭和33年  朝鮮近代史料研究会設立。

昭和39年  朝鮮問題研究会発足。

昭和43年  協会会報誌名「同和」を「友邦」に改題する。

昭和46年  韓国政府から日本政府への要請により日本人遺骨5000柱の送還を

       社団法人中央日韓協会が引受人となり横浜市鶴見区の総持寺(曹洞宗大本山)に安置する。

昭和48年  当協会内に「朝鮮物故者回向会」を設置し5,667柱の過去帳を作成し総持寺で慰霊祭を実施。

       命日を9月28日と決める。

昭和49年  「わが生涯を朝鮮に」穂積真六郎(協会副会長)先生遺筆が友邦協会から上梓された。

昭和56年  3年間時間を要し「朝鮮電機事業史」の編纂終了。官公庁を始め電力会社、関係先へ寄贈。

昭和58年  韓国電力公社の招待で電力使節団を派遣、韓国各地の電力使節を視察。

昭和59年  朝鮮問題研究会が収集した資料、及び協会が有する資料を学習院大学に寄託。

*初代会長山縣伊三郎氏(朝鮮総監府初代政務総監)文庫、協会顧問の坂谷芳郎(男爵)三・一運動時収集資料「半島近世史年表」他「韓国仁川写真帳」会報誌「友邦」も創刊号から寄託されている。

同年4月「日韓文化を語る会」出席の、楊さんの依頼で、恩師の日本人女性教師を探し出し30人の教え子と40年ぶりに韓国で再会を果たせる。これがテレビ番組「ドキュメント“85」として放映され大反響を呼んだ。

昭和60年 学校法人 学習院大学 より「友邦協会・中央日韓協会文庫資料目録」が刊行された。

昭和61年 「社団法人中央日韓協会60年史」編纂事業始まる。

平成10年 北朝鮮からの遺骨収集運動を図る。

平成12年 「友邦文庫所有権」が学習院大学へ譲渡され将来にわたり東洋文化研究所が管理・保管することになった。

平成14年 韓国文化院と共催、外務省後援で「洋田韓迅招待書藝展」(韓国書家)を韓国文化院大講堂で開催した。  

     復刻版「中央朝鮮協会報」(全6巻)が監修・解説 李炯植の下、オークラ情報サービス(株)

    (価格81,000円)で刊行。

平成16年 外務省「日韓友情年2005」事務局に実行委員として参画。

平成20年 丸田龍二9代目会長就任、「日韓文化講座」充実図る。

平成23年 内閣府所管の下「公益社団法人中央日韓協会」となる。

平成26年 稲葉大和(元衆議院議員)10代目会長就任。

令和2年  木村 勉(元衆議院議員)11代目会長就任。

      韓国理事3名就任、韓国会員の増員強化に努める。

令和5年  学習院大学東洋文化研究所と共催で日韓文化講座「市民公開講座」4回実施予定(11月から令和6年1月)


日韓文化研修旅行実施予定(10月末から11月始め)

「公益社団法人中央日韓協会」は今後、関係団体との共催事業や韓国における日韓文化交流研修事業等を通じ、真の公益性を有する日韓民間交流活動行っていきます。

これらの各事業の詳細は、別項をご参照ください。

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